十数年ぶりに、昔大好きだった女の子に再会した。
もう二度と会えないと思っていた彼女は、たった数キロメートルしか離れていない街で、
真夏の太陽のような柄のパラソルを売っていた。

「久しぶり。元気だった?」

パラソルを買うふりをして彼女に近づき、声をかける。
一瞬怪訝な顔をされたが、すぐに「ああ」と頷いてくれた。

「誰かと思ったわ。びっくりしちゃった」

そう言って口をもごもごさせながら、笑ってパラソルを畳み始める。
彼女は生まれて初めて好きになった女の子だった。
パンクロックが好きで、太陽が嫌いで、そばかすを気にしていた女の子。
赤茶色の短い髪とチラチラ光るグリーンのピアスが、世界中の何よりもキュートだった。


「君のショートヘアが大好きだったのに」

あの頃よりも暗いブラウンの腰まで伸びた髪を眺めながら、思わず呟く。
その瞬間、ガリッという音がして彼女の口の動きが止まった。
そして彼女は噛み砕いたキャンディと一緒に吐き捨てるように言った。

「だから伸ばしたのよ」
 
2018/05/26(土) 21:54 [003] PERMALINK COM(0)
 
新しい季節が始まった。
私たちは昨日まで着ていたコートを脱ぎ、よく似たブーツを履いて花が咲く長い一本道を歩いた。


頭上からは雪のように白い花びらが降り注いでいる。
そのうちの何枚かを手のひらに受け止めた彼が、間抜けな顔で私に訊ねた。

「この花は何ていうの?」

私はふるふると首を振ってため息をついた。

「ねえダーリン、私が花の名前なんて分かる女だと思う?」
 
2018/04/03(火) 23:08 [001] PERMALINK COM(0)
 
使わなくなったカメラケースの中から、一枚の写真が出てきた。
何かを撮ろうとカメラのファインダーを覗いている彼の背中をこっそり盗み撮りした写真。
それはかつて「この人が好きでたまらない」と思いながらシャッターを押した一枚だった。


今でもこの日のことを鮮明に覚えている。
彼の誕生日。休館中の美術館。空車だらけのコインパーキング。
陸橋の上で、この背中を突き飛ばしたらどうなるだろうと考えたこと。


もちろん、私はそんなことはしなかった。
そして彼は一日中私に背中を見せたまま笑い続けていた。
私はこの日彼がどんな顔をしていたのか、まったく思い出せない。


「あなた、とうとう私のことなんて一度も見なかったわね」

写真の中で背を向けている彼にそう語りかけ、私は写真に火をつけた。
 
2018/03/12(月) 23:34 [001] PERMALINK COM(0)
 
その日、最終の電車で彼の住む街に向かった。
車内には疲れた顔をした乗客が数人いたが、この街で降りたのは私一人だけだった。
 
無人駅を降りて、一本道を北へ進む。
いつだったか彼に聞いたことがある。
この街は 21時にはすっかり眠りについて、誰もいなくなるらしい。
時刻は 0時を過ぎている。当然のように建物の明かりは全て消えていて、人も車も通らない。
電車は私が今乗って来たあの一本が最後だ。


ちょうど 3本めの道路を渡ったあたりで、小さな公園を見つけた。
まだしばらく時間がある。
特に施錠することもなく深夜も開放している公園に足を踏み入れ、どこか座れる場所を探す。
カラフルな滑り台、モザイクタイルで装飾された水の無い小さな噴水、ところどころ木が朽ちて剥がれ落ちているベンチ。
少し考えて、今の私には背の低すぎるブランコに腰を掛けてゆらゆら揺れていると、突然真っ白な猫が現れて膝の上に飛び乗って来た。

「どこから来たの」

白猫はサファイアブルーの瞳をくりっとさせてニャー、と鳴いた。
私はそれを返事と受け取り、猫の頭を撫でた。

「あなた、プールみたいな目の色してるのね」

猫はゴロゴロと喉を鳴らしてまばたきをしている。
よく見ると水色の首輪をつけている。野良猫ではないようだ。

「プールなんて言っても分からないわね」

じっとこちらを見つめている猫を腕の中に抱き寄せ、そっと頬ずりしてみる。
猫は嫌がる様子も見せず、時折ニャー、と鳴いた。
そして私は猫を抱いたまま、いつのまにか眠ってしまっていた。
 
 
「ちょっと、起きて」

突然体が揺れた衝撃で目を覚ます。
片目だけ開いて顔を上げると、彼が私の肩をつかんで揺さぶっていた。

「こんなところで寝るなよ、危ないだろ」

髪も服もぐしゃぐしゃの彼が少し怒ったようにたしなめる。
よほど急いで来てくれたらしい。
そこで私は、あるものがいないことに気が付いた。
 
「ねこ」
「え?」
「白い猫、いなかった?凄く綺麗なブルーの目をした猫」
 
さっきまで膝の上にいたはずのあの猫がいなくなっていた。
どこに行ったのだろう。家に帰ったのだろうか。
 
「猫なんていなかったよ。ほら、寒いから早く帰ろう」
 
彼に手を引き上げられて、ブランコから立ち上がる。
そして後ろ髪を引かれるような思いで公園を出ようとした瞬間、ニャー、とどこかから鳴き声が聞こえた。
 
「ねこ!」
 
何か理由があったわけではない。
ただ直感的に、公園の中央にある小さな噴水を見た。
さっきまでは確かに水の無かった噴水に、今は水が満たされている。
 
駆け寄って、噴水の中を覗き込む。
透明な水、サファイアブルーのモザイクタイル。タイルに描かれているのは、青い目をした白い猫。
水の中から、ニャー、ニャーと鳴き声が聞こえている。
 
 
噴水が水しぶきを上げる。
水の中で、さっきの白猫がもう一度「ニャー」と鳴いた。
 
2018/03/06(火) 22:13 [001] PERMALINK COM(0)
 
早朝のまだ店の開いていない通りを歩いていたら、ポケットからポン、と間抜けな音が聞こえた。
携帯電話を取り出して確認する。 間抜けな音が知らせたのは彼からのメールだった。

「こっちに来てるなら、連絡くれればよかったのに」

誰もいない路地裏を歩きながら片手でメールを打ちこむ。
画面を閉じる間もなく、すぐに新しいメールが届く。

「今、国道沿いのカフェで朝食を食べてるよ」

私もすぐに返事をする。
彼が今いると言ったカフェは、私もよく知っている店だ。
店内で焼き上げたパンとそれで作られたサンドウィッチ、そしてマスターがこだわって淹れるエスプレッソが絶品なのだ。
だけどここからはずいぶん遠い。
今から来いと言われても、それは不可能だろう。


羨ましい、と短いメールを返した。
すぐに返信が来る。
彼は今、サンドウィッチを片手にエスプレッソを舐めながらメールを送っているのだろう。
サンドウィッチの中身はたぶんトマトとレタス、それからベーコン。
なぜなら彼はシュリンプが大嫌いだから。

「会いたかったな」

微かにエスプレッソの香りが漂った気がした。
そうね、私も会いたかった。
銀色のオーブンから出したばかりの、こんがり香ばしい焼きたてのバゲットに。
 
2018/02/28(水) 21:48 [001] PERMALINK COM(0)