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オン・ザ・ブリッジ
使わなくなったカメラケースの中から、一枚の写真が出てきた。
何かを撮ろうとカメラのファインダーを覗いている彼の背中をこっそり盗み撮りした写真。
それはかつて「この人が好きでたまらない」と思いながらシャッターを押した一枚だった。
今でもこの日のことを鮮明に覚えている。
彼の誕生日。休館中の美術館。空車だらけのコインパーキング。
陸橋の上で、この背中を突き飛ばしたらどうなるだろうと考えたこと。
もちろん、私はそんなことはしなかった。
そして彼は一日中私に背中を見せたまま笑い続けていた。
私はこの日彼がどんな顔をしていたのか、まったく思い出せない。
「あなた、とうとう私のことなんて一度も見なかったわね」
写真の中で背を向けている彼にそう語りかけ、私は写真に火をつけた。
2018/03/12(月)
23:34
[001]
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ウォーターパーク
その日、最終の電車で彼の住む街に向かった。
車内には疲れた顔をした乗客が数人いたが、この街で降りたのは私一人だけだった。
無人駅を降りて、一本道を北へ進む。
いつだったか彼に聞いたことがある。
この街は 21時にはすっかり眠りについて、誰もいなくなるらしい。
時刻は 0時を過ぎている。当然のように建物の明かりは全て消えていて、人も車も通らない。
電車は私が今乗って来たあの一本が最後だ。
ちょうど 3本めの道路を渡ったあたりで、小さな公園を見つけた。
まだしばらく時間がある。
特に施錠することもなく深夜も開放している公園に足を踏み入れ、どこか座れる場所を探す。
カラフルな滑り台、モザイクタイルで装飾された水の無い小さな噴水、ところどころ木が朽ちて剥がれ落ちているベンチ。
少し考えて、今の私には背の低すぎるブランコに腰を掛けてゆらゆら揺れていると、突然真っ白な猫が現れて膝の上に飛び乗って来た。
「どこから来たの」
白猫はサファイアブルーの瞳をくりっとさせてニャー、と鳴いた。
私はそれを返事と受け取り、猫の頭を撫でた。
「あなた、プールみたいな目の色してるのね」
猫はゴロゴロと喉を鳴らしてまばたきをしている。
よく見ると水色の首輪をつけている。野良猫ではないようだ。
「プールなんて言っても分からないわね」
じっとこちらを見つめている猫を腕の中に抱き寄せ、そっと頬ずりしてみる。
猫は嫌がる様子も見せず、時折ニャー、と鳴いた。
そして私は猫を抱いたまま、いつのまにか眠ってしまっていた。
「ちょっと、起きて」
突然体が揺れた衝撃で目を覚ます。
片目だけ開いて顔を上げると、彼が私の肩をつかんで揺さぶっていた。
「こんなところで寝るなよ、危ないだろ」
髪も服もぐしゃぐしゃの彼が少し怒ったようにたしなめる。
よほど急いで来てくれたらしい。
そこで私は、あるものがいないことに気が付いた。
「ねこ」
「え?」
「白い猫、いなかった?凄く綺麗なブルーの目をした猫」
さっきまで膝の上にいたはずのあの猫がいなくなっていた。
どこに行ったのだろう。家に帰ったのだろうか。
「猫なんていなかったよ。ほら、寒いから早く帰ろう」
彼に手を引き上げられて、ブランコから立ち上がる。
そして後ろ髪を引かれるような思いで公園を出ようとした瞬間、ニャー、とどこかから鳴き声が聞こえた。
「ねこ!」
何か理由があったわけではない。
ただ直感的に、公園の中央にある小さな噴水を見た。
さっきまでは確かに水の無かった噴水に、今は水が満たされている。
駆け寄って、噴水の中を覗き込む。
透明な水、サファイアブルーのモザイクタイル。タイルに描かれているのは、青い目をした白い猫。
水の中から、ニャー、ニャーと鳴き声が聞こえている。
噴水が水しぶきを上げる。
水の中で、さっきの白猫がもう一度「ニャー」と鳴いた。
2018/03/06(火)
22:13
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パンとエスプレッソ
早朝のまだ店の開いていない通りを歩いていたら、ポケットからポン、と間抜けな音が聞こえた。
携帯電話を取り出して確認する。 間抜けな音が知らせたのは彼からのメールだった。
「こっちに来てるなら、連絡くれればよかったのに」
誰もいない路地裏を歩きながら片手でメールを打ちこむ。
画面を閉じる間もなく、すぐに新しいメールが届く。
「今、国道沿いのカフェで朝食を食べてるよ」
私もすぐに返事をする。
彼が今いると言ったカフェは、私もよく知っている店だ。
店内で焼き上げたパンとそれで作られたサンドウィッチ、そしてマスターがこだわって淹れるエスプレッソが絶品なのだ。
だけどここからはずいぶん遠い。
今から来いと言われても、それは不可能だろう。
羨ましい、と短いメールを返した。
すぐに返信が来る。
彼は今、サンドウィッチを片手にエスプレッソを舐めながらメールを送っているのだろう。
サンドウィッチの中身はたぶんトマトとレタス、それからベーコン。
なぜなら彼はシュリンプが大嫌いだから。
「会いたかったな」
微かにエスプレッソの香りが漂った気がした。
そうね、私も会いたかった。
銀色のオーブンから出したばかりの、こんがり香ばしい焼きたてのバゲットに。
2018/02/28(水)
21:48
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エメラルド
そこにたどり着くまでには、長い時間と労力を要した。
辺りは静寂で包み込まれ、人ひとり通る気配がない。
最後に人と遭ったのはどのくらい前だったか。
もうすっかり真夜中だが、等間隔に設置された街灯が道を照らしているし、
たまに現れる高層タワービルにはいくつかの灯りが点いているので視界は意外に明るい。
しかし、目的地に近づくにつれて光の数は明らかに少なくなっていった。
先ほどまで30メートルおきに並んでいた街灯も、今では100メートルおきにまで減っていた。
ここで、道が途絶える。
手前に見える螺旋階段をエメラルドグリーンの街灯が照らしている。
どうやらあれを昇って先に進むらしい。
螺旋階段を昇り切ると、もうほとんど光はなかった。
持ってきていた小型のペンライトで足下を照らして先へ進む。
そこで自分が裸足で歩いていることに気付いた。
不思議と足は少しも痛くなかった。
突然、空気の流れが変わった気がしたので顔を上げると、そこが道の終わりだった。
目的地に着いたのだ。
道の最果てには、エメラルドグリーンに輝く夜の海と、銀色のパンプスが待っていた。
私はパンプスに足を入れて、サイズがぴったりであることを確かめた。
夜が明けるまでには、まだしばらく時間がかかるだろう。
やっとたどり着いた闇の向こうで、赤い航空障害灯がチカチカといつまでも点滅していた。
2018/02/24(土)
02:37
[001]
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ハッピーニューイヤー
「あけましておめでとう」
人のよさそうな笑みを浮かべて彼が話しかけてきた。
私は心底うんざりして、思わず舌打ちをした。
「どうしてそんな嫌そうな顔をするの」
「あなたは嬉しそうね」
「そりゃ、新年だもん。新しい一年が始まるんだよ、とてもめでたいじゃないか」
彼はまるでこの世の春が来たかのように満面に笑みを浮かべている。
「そうね、盆と正月がいっぺんに来たようなめでたさだわ」
彼が「そうだろう」と満足げに頷く。
私はもう一度舌打ちをして、彼を睨みつけた。
「本当にめでたいわ。あなたの頭がね」
2018/01/05(金)
01:53
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